Diary 2013. 11
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11月19日 (火)  区切り遍路第8日=宿〜鴇田(ひわた)峠〜44番大寶寺〜久万高原町の宿

朝になっても雨は止まず、宿の主人がこれから先の歩き方を詳しく助言してくれました。

少し行った集落にある旅館を発たれたご夫婦(埼玉県のIさん)と出会って、ここからは3人旅。道々の会話、門松の出荷風景の見学、「もち工房」で昼食用いなりの購入など、楽しく歩かせてもらいました。深い所では10pの積雪があった鴇田峠を不安なく越えることができたのは、心強い同行者があったからです。
国道33号線まで下り、宿に向かわれる二人とお別れして、私は44番札所・大寶寺へ。時間も遅く、参拝者は他に居ませんでした。

暮れかけた山道を、次の札所までの途中にある宿に急ぎました。この宿「八丁坂」は昨年1月1日にオープン。遍路地図に載っていません。昨夜に続いて、宿泊者は私一人です。

【歩行距離25.1q 38,850歩】

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11月18日 (月)  区切り遍路第7日=新大阪駅〜岡山駅〜JR内子駅〜大瀬の町並み〜宿

遍路を中断した内子駅に戻るため、6時25分発の「さくら541」で岡山へ。「しおかぜ1号」に乗り換え、10時5分松山着。当初計画ではもう1便遅くする積もりでしたが、天候悪化の予報で早めました。松山で乗り継いだ「宇和海9号」が発車した途端に雨となり、列車内で雨具を着用。しかし、下車した内子駅では降り止んでいました。
もちろん、甘い期待は通じません。内子座あたりで空が暗くなり、道の駅「からり」を過ぎようとしたところで、アラレ混じりの雨。その後はずっと、雨中歩行となりました。

●大瀬の町並み保存
内子町の町並み保存は有名ですが、遍路道が通る大瀬の集落でも心の落ち着く家並みが続いています。駐在所(写真右下)や、自動車整備工場(写真左下)まで、町の光景に合わせたようです。この自動車屋さんでお仕事中の方に尋ねると、建て替える際に補助金が出ていたそうです。「けど、今はない」と、残念そうでした。

●夕食はお豆腐料理
内子駅から4時間歩いて到着した民宿は、本業がお豆腐屋さんでした。幾種類もの豆腐料理が並ぶ夕食をとても美味しく頂きました。一方、雨は降り止まず、気温もぐんと低下。「念のために…」と思ってリュックに入れてきた発熱・保温素材のインナー上下が役立ちました。

【歩行距離13.2q 21,592歩】

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11月17日 (日)  金岡北中横の緑道で、地域の方々が落ち葉の清掃をされていました。

3回目の「議会報告会」が開催され、29人の市民の皆さんが参加。12人の方から質問や意見表明をいただきました。私は、「職員給料や議員報酬を日本一にして、日本一の仕事をしてほしい」という発言者への答弁を担当。報酬審議会や人事委員会のことなどを説明しました。

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11月16日 (土)  朝の気温は7℃。だんだん、寝具から離れるのがつらくなってきました。

今日は、文字どおりの「骨休め」の日とさせていただきました。家族と買い物に行ったり、季節の変化に合わせて衣料を入れ替えるなど、家事も少し手伝いました。


11月15日 (金)  午前中、ずっと雨。不在にしていた1週間に、秋はぐんと深まりました。

9日から6日間、4回目の区切り遍路に行っていました。前回歩き納めた土佐くろしお鉄道の宿毛駅から峠を越えて愛媛県に入り、愛南町、西予市、宇和島市、大洲市を経て内子町までの旅。ここからは山地に入るので、JR内子駅から特急を乗り継ぎ、昨夜遅く帰宅しました。
一昨日、41番札所の龍光寺本堂で「般若心経」を読み、御宝号(南無大師遍照金剛)を唱え終えたとき、携帯電話に竹山市長ご厳父の訃報が入りました。そのために帰ってきた訳ではないのですが、今日のご葬儀にお参りさせていただきました。閉式にあたっての喪主挨拶は、「父と過ごした63年の思いを整理しようとするができない。謹厳実直、家族と仕事を愛した父が私の誇り。父をロールモデルとして生きてきた」という言葉で始まり、竹山家の家族の強い絆を感じさせる竹山市長らしい“熱弁”でした。「13年前、市長選出馬を試みたが時宜を得ずに断念した」とのエピソードも、ご本人が自ら語りました。

●拡充される「避難者支援」…11月議会提案予定案件の説明で提示
午後は、27日開会の11月議会に提案予定議案の事前説明。葬儀式参列のため予定時刻を遅らせてもらい、財政課の報告を受けました。なお、その説明によると、東日本大震災避難者の皆さんへの支援策拡充のため、大規模災害被災地等支援基金を活用して次のような事業を実施することも示されました。@専門相談窓口の開設(堺区・南区で隔週)、A「避難者里帰りバス」の運行(来年度2回)、B市内避難者交流会の開催(各区2回・全体2回程度)、C支援者向け研修会の実施(4回程度)、D避難者自宅訪問サポート。
議案説明の後、公園緑地部からヒアリング。新金岡第5住宅(4丁5・6番)建て替えに当たっての金岡東第3公園利用の予定などについて説明を受けました。

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11月14日 (木)  区切り遍路第6日=上宇和の宿〜大洲市〜内子町〜JR内子駅(いったん帰宅)

今日は歩く距離が長いので、宿の朝食をキャンセル。4時に起き、昨夕スーパーで買って来たお寿司を食べて身支度。6時の出発時、宿泊した上宇和駅近くのビジネスホテルは、まだ闇の中でした。
自転車で登校する中学生たちと挨拶を交わしながら歩行。「芝」という集落に差し掛かったところで、家から出て来た女性が道案内を買って出てくれました。「妹の家に行く」というこの人は、バス停2つの間を足早に歩き、別れ際に「国道のトンネルを行け」と勧めてくれました。逆らって山道に入ると、30分で鳥坂(とさか)峠。下った集落にある「札掛大師堂」にお参りしましたが、どうやら廃寺になっている様子です。

●フランス人が書いた遍路ノート
遍路を楽しむ外国人も多く、休憩所のノートにはフランス語の記載を見ました。やがて大洲の市街内に入り、大洲城を遠望しながら一路内子へ。運動公園の堀に面した紅葉の色づきに癒やされました。
今回の遍路旅は、17日開催の議会報告会に出席するため、途中で一度堺に戻る計画です。コース上にあるJR内子駅で往復乗車券を購入。松山で特急を乗り継いで、岡山からの新幹線で帰宅しました。

松山〜岡山間で運行される特急「しおかぜ」に乗るのは初体験。高知方面に走る特急よりもやや豪華な内装で、洗面所に砥部焼(しかも梅山窯)が使われているのは感動ものでした。
ところで昨日、龍光寺本堂で「般若心経」を唱え終わったところに携帯電話が鳴り、「竹山市長の厳父が亡くなられ」との訃報が届きました。今日帰れば、ご葬儀にお参りさせていただくこともできそうで、まさに「お大師様のお導き」という感じがします。また、昨日までは半袖シャツの上に白衣を着けて歩くほど暖かかったのですが、今日は気温が下がり、朝からずっとヤッケを着用していました。「一息つけ」とのお声も聞こえます。

【歩行距離27.6q 42,249歩】

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11月13日 (水)  区切り遍路第5日=宿〜41龍光寺〜42佛木寺〜43明石寺〜上宇和の宿

北宇和島駅近くの宿を出て、2時間足らずで41番札所・龍光寺。参道入口の食堂に、菅直人さんの写真が貼ってありました。どうやら、この店の屋号にもなっている「銘水?」のコマーシャルに使われたようです。42番札所・佛木寺までは30分。納経所でご近所の方から柿のお接待。

今日3つ目となる43番札所・明石寺までの道には、歯長(はなが)峠があります。「きついのは最初だけ」という標識を信じ、鎖を頼りに急坂を10分登りました。峠を下った後は、清掃作業中の小学生から励まされたり、民家の庭に干された白菜などを見ながらのんびりと歩き、2時間45分で明石寺に到着。

明石寺は旧宇和町にあって、古い町並みの中に「女医イネ発祥の地」との看板を見つけました。シーボルトの娘・イネがこの町の二宮敬作(シーボルトの弟子)に、日本最初の女医として育てれたとのことです。

【歩行距離19.2q 38,084歩】

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11月12日 (火)  区切り遍路第4日=旧津島町の宿〜松尾峠〜宇和島城〜北宇和島の宿

●トンネルか遍路道か
宿を出て国道を30分ほど歩くと、全長1710mの松尾トンネル。そのまま直進すればアップダウンが少ないはずですが、排気ガスにさらされます。左脇に遍路道が整備されていて、地元の方々が草取り中でした。獅子文六にちなんで「てんやわんや王国」と名付けたグループだそうです。感謝の言葉を申し上げながら、迷わず遍路道を歩みました。
なお、峠の頂き付近にある休憩所で出会った方のお話では、「鹿と猪のワナをしかけている」とのことでした。

●ゴミ処理場建設反対も
宇和島市の祝森という地域で、市が進めているゴミ処理施設の建設に反対する看板を見ました。また、遍路道脇の民家の庭に黄色い実を付けた木があり、表に出ておられた隣家の方に「ユズですか?」と尋ねたところ、「レモンの味もしますよ」と、もぎってお接待して下さいました。

●宇和島城を2時間見学
今日は宿の関係で歩く距離が短いので、たっぷり時間をかけて宇和島城を見学。下右の写真は、最初に見えたお城をカメラに納めた位置を、天守閣から撮影したものです。

【歩行距離17.6q 27,173歩】

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11月11日 (月)  区切り遍路第3日=旧御荘町の宿〜旧内海村〜岩松地区〜旧津島町の宿

●最初に失敗は杖忘れ
遍路旅でよくやる失敗は、忘れ物と道しるべの見落としです。今日は何度も繰り返してしまいました。まず、宿に遍路杖を残したまま出発し、2qほど歩いて気づきました。取りに戻る途中、宿の主人が軽四トラックで追いかけてきて届けてくれました。

●2度見落とした道しるべ
失敗は続きます。国道56号から遍路道に入る標識を見落として進み、後戻り。さらに、柏坂への入口標識が目に入らず、右の道を直進。未整備の山道に入ったところで、遍路案内が見当たらないのが不安になり、10分ほどの距離を戻りました。

●厳しかった柏峠
柏峠は厳しい坂道ですが、落ち葉が美しく、また山中にトイレが整備されるなど、地元の方々の温かさを感じます。

●歴史感じる旧津島町
岩松川に沿った旧津島町の中心部には獅子文六が「てんやわんや」を書いたという古い旅館もありました。ただし、私の宿は町外れのビジネスホテル。食事は近くの居酒屋です。店を切り盛りする夫妻の出身地「下灘」と「北灘」が、屋号の由来だと聞きました。

【歩行距離15.3q 27,146歩】

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11月10日 (日)  区切り遍路第2日=旧一本松町の宿〜40番観自在寺〜旧御荘町の宿

愛南町は、愛媛県の最南端にある南宇和郡4市1町のすべてが、2004年に合併して誕生した町。町域の大部分は山地で、そのまま海に落ち込む複雑な海岸線を持っています。

●本降りの雨の中を出発
昨夜、宿に着いてから降り始めた雨は、朝になっても雨足が衰えず、雨具を着けての出発となりました。
町の中心部の道路沿いに倒壊した廃屋を見かけましたが、今回の遍路旅でしばしば遭遇した光景です。

●2時間後に降り止んだ雨
もっとも、遍路道はよく整備されていて、道ばたの休憩所も立派なものです。歩き始めて1時間半の所で休んでいるうちに雨は小降りとなり、暑いので雨具の上衣を脱ぎました。さらに半時間ほど歩くと完全に降り止み、「とよた茶堂」では雨具とともに長袖シャツもリュックにしまいました。
お陰様で、愛媛県最初の札所・40番観自在寺へは青空の下でのお参りです。

●「海の幸」三昧の民宿
山中の道が終わって海の展望が開けた室手海岸(といっても崖上)に今夜の宿があります。80歳を越える老夫婦が経営する宿の食事は、緋扇貝や草履エビなど、珍しい海の幸づくしです。
また、ご主人は海を知り尽くした人らしく、空を見上げて「カワセブリが来る」と告げました。すると間もなく、激しい雨を伴った強風が吹き始めたのです。その直前、窓の外の灌木に野鳥が身を寄せ、茂みに避難する様子も目撃することができました。
なお、同宿者は途中で追い越した男性遍路1人でした。

【歩行距離18.6q 26,981歩】

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