Diary 2013. 3
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3月21日 (木)  今日は一転して「冬」。5℃〜11℃となり、コートを引っ張り出しました。

朝から、家電販売店での買物に関する相談が2件続きました。その後、土木部西部地域整備事務所からの報告を受けてから登庁して、いくつかの調査事項を処理。
夜は、知人の通夜式にお参りするため大阪市内へ。亡くなられたのはKさんのご夫君で、まだ62歳でした。Kさんは、私が桃山学院大学の司書・司書補講習を担当していたころの受講生。修了後は事務室の仕事を手伝ってもらいました。また、議員になってからもいろいろと力を貸していただき、初期に発行していた「議員活動報告」の手書き版下はすべてKさんの作品です。今のものとは違って、温もりのある紙面が読者の皆さんに好評でした。ご夫君も印刷関係の仕事に携わっておられ、応援してくださったようです。謹んでご冥福を祈ります。
なお、お二人の結婚式の際、私たち夫婦が媒酌人役を務めさせていただきました。またKさんは、ホームレス自立支援のために発行されている雑誌「ビッグイシュー」の編集にもずっと携わっています。通夜式には、ビッグイシュー日本代表の佐野章二さんや編集長の水越洋子さんも参列されており、閉式後、久しぶりに懇談することができました。
実は、昨日たまたま、カーラジオから流れるNHKの放送で、東京支社の責任者をしている佐野未来さんの話を聴いたばかりです。その話から、最近のホームレスが高齢化していること、若い世代には一見ホームレスには見えないが生活に困窮している人たちが増えていることなどを知りました。皆さんの熱心な仕事が、状況を変えてくれるよう願います。

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3月20日 (水)  春分の日。お昼前から雨になり、気温13℃〜17℃。寒さは感じません。

昨日通告した議員報酬の一部受け取り辞退について、朝日新聞と読売新聞が朝刊で報じています。
なお、読売新聞の記事によると、議会閉会後に記者会見した市議会議長が「調整して議長案を示す」と表明したようです。本来は2月議会で決めるべきでしたが、次の5月議会ではぜひ報酬削減を実現したいものです。
ところで、最終本会議では、全議員提案による「議会基本条例」も可決成立したのですが、このことを報じたのは産経新聞だけでした。各紙とも、復興予算問題をめぐる市長のお詫び発言に紙面を割いています。

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3月19日 (火)  大荒れの昨日とは打って変わり、21℃と暖かい日差しの「春」です。

2月15日から始まった「2月定例会」の最終本会議です。市長から提案された議案は、維新の会議員団などが一般会計予算と一部議案に反対したものの、すべて可決されました。とりわけ、今日私が意見を述べた議案第48号「堺市職員の給与の特例に関する条例」は、付託された総務委員会と同様に全会一致での可決となりました。
これにより、堺市の全職員の給与が4月から2年間カットされます。局長・部長級=6%、部次長・課長級=4.8%、課長補佐級以下3〜2%の減額は、職員の生活設計にきっと多大の影響を与えるに違いありません。そんな議案に、議員は誰一人として反対しませんでした。自分たちに支給される議員報酬にはまったく手を付けずに…です。

●そんな「道理」が通らないこと、許されません
私はかねがね、職員に痛みを負わせるのなら、議員も自分たちの報酬を減らすべきだと考えてきました。議会力向上会議にでもその旨を主張していたのでが、過日の会議に座長から報告があったように、各会派間の思惑によって調整がつかず、今議会での削減は見送りとなってしまいました。現在、大阪府議会の議員報酬は93万円→65万1千円に、また大阪市議会でも97万円→77万6千円に減額中です。このことにより、堺市議の報酬78万円(月額)は府内自治体の最高額となっています。

●まさに(我が身を削ることは)「決められない政治」
堺市議会が議員報酬の減額を決めることができなかったのは、今回に始まったことではありません。2004年12月議会には、報酬減額案2つと議員定数削減案が提案されたものの、3案とも過半数を得ることができずに三すくみの否決となりました。また、選挙を前にした2011年2月議会では、共産党が「10万円削減」の提案を示唆し、これに対して維新の会から「定数7人削減」案を出すとの意向が示され、結局、双方とも提案を見送るということなりました。
そもそも、議員報酬と議員定数とは別の課題だと、私は思います。これを併せて議論させようとする背景には、それぞれの会派の政治的思惑があります。また、定数問題は次の選挙までに結論を出せばいいのです。今議会で問われたのは、職員給与を減らすことを決める議員が、自分たちの報酬をそのままにしていいのかという問題だったはずです。にもかかわらず、またまた先送りしてしまったことは、市民の皆さんに納得していただけると思えません。

●私自身に支給される議員報酬の一部を受け取りません
私は、常任委員会付託案件への討論で、いま堺市議会がそのような事態を生じさせていることを語りました。そして、「決められない政治」に関わっている議員のひとりとして「議員報酬の一部の受け取りを辞退する」と表明。他の議員たちにも「良心と良識に基づいて熟考してほしい」と訴えました。また、本会議終了後、市長に対して「受領辞退」の通知文書を提出しました。
私が受け取りを辞退するのは、職員給与カット議案での局長・部長級の6%減額を参考とし、議員報酬条例に規定された額から6%相当額を減じた場合の税引き手取り額との差額です。議会事務局の試算によれば、1年間の議員報酬と期末手当のうち「55万9347円」になるとのこと。なお、辞退期間は現任期の終了(2015年4月)までとしましたが、市議会が議員報酬の減額を議決すれば、辞退を取りやめようと思っています。

●これままでに受け取らなかった報酬等の合計額は「1122万円」
これまでも、議員報酬お手盛りアップに反対して引き上げ分の請求権を放棄。また、出席費用弁償の廃止求めてその受け取りを断り、2004年には賛成した5%減額案に基づいて辞退するなどのことを実行してきました。それらの合計額は、「1122万5613円」となっています。

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3月18日 (月)  予報通り午後から雨となり、大雨洪水注意報も。気温は18℃〜22℃です。

昨日から「議員活動報告」(No.57)の作成にかかり、今朝、印刷所に原稿を入れました。午後から登庁して、明日の本会議の発言準備。また、事務所に戻って市民相談に応じました。


3月17日 (日)  お彼岸に入って、今日は18℃です。やはり季節は大きく変わるのでしょう。

ずいぶん古い写真(下)ですが、1982年8月、政治倫理条例制定の直接請求署名を集める、津久野駅前でのひとコマです。電車が到着するたびに、通勤帰りの方々が署名簿を置いた机まで来てくださるという熱気のある運動でした。私も若く、41歳。

●汚職事件に怒る堺市民の運動
私が堺市議に初当選は、1979年のこと。3年目の9月に汚職事件が摘発され、翌年3月には逮捕された市議の有罪判決が確定しました。同じ事件で逮捕された職員は起訴の時点で懲戒免職。にもかかわらず、汚職市議は議員を辞めず、市議会の多数派は「辞職勧告決議」を否決しました。
ならば、「市民の手で市議会を正常化しよう」と、私を議会に送り出した市民の皆さんと知恵を絞りました。ちょうどその頃アメリカで制定された「政府倫理法」を猛勉強。汚職防止のための「資産公開制度」を取り入れ、「住民参加」を随所に織り込んだ条例案が出来上がりました。

●4万5千人の署名で汚職議員は辞職…「1対50」の議会が「39対11」に 
1982年の夏、炎天下での直接請求運動が始まりました。4万5730人の署名が集まり、運動の最終日に汚職市議が辞表を提出。運動は大成功でした。もっとも、市議会での当初の賛成者は私1人。全議員が参加する特別委員会を設置して議論を交わす中で賛成議員は39人(最後まで反対したのは11人)となり、1983年2月25日の本会議で可決しました。条例が公布・施行されたのが3月17日で、以来、ちょうど「30年」になりました。

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3月16日 (土)  朝は2℃だったのですが、午後から暖かくなり、15℃まで上がりました。

午前中に歯科の定期検診を終え、昨日も見舞った元議会事務局職員の病室を訪ねました。今日は、同期採用の職員もすでに来ていて、本人はすこぶるうれしそうでした。
さて、私が2回目の当選を果たした後の4年間、会派別に議員の発言回数を集計した表を作ったことがあります。この表を作るため、当時事務局に在籍していたこの人に相談したら、労を惜しまず4年間の会議録を丹念に調べて報告してくれた仕事への姿勢を思い出しました。


3月15日 (金)  朝はぐんと冷え込んで0℃。午後は12℃で、昨日よりは暖かくなりました。

今日は、大泉小学校の卒業式。1クラスだけ、34人の卒業生ですが、人数が少ない分、いつも通学路の安全を願って見守っている地域の人たちなどとと子どもたちとの関係が深いような気がします。
同小では例年、卒業証書を受け取る際に壇上で漢字を掲げるのですが、今年いちばん多かったのは「進」の3人。いずれも「夢に向かって進む」との思いを語りました。その次は「速」と「努」で、いずれも2人。残りはそれぞれ1人ずつでした。
「救」を掲げた卒業生は「医者になって人の命を救いたい」と言い、「警」を掲げて「大阪府から犯罪をなくすため警察官になる」と言った女児もいました。そのほか、「司書の資格をとる」と言って「本」を掲げたり、「電車の運転手」をめざして「電」を掲げるなど、34人それぞれの個性的な願いがこれからどのように実っていくのか楽しみです。

●午後からは議会運営委員会と議会力向上会議
卒業式が終わってから登庁。最終本会議の議事運営を協議する議会運営委員会を傍聴。続いて開かれた議会力向上会議に出席しました。両方の会議を通じて分かったことは、ほぼすべての会派が、「職員の給与削減」(6%〜2%)は全会一致で可決するが、「議員報酬の減額」は先送りにしようとしていることです。議会力向上会議では、各会派との調整に当たってきた座長(議運委員長)から「調整が不首尾に終わった」旨の報告があったので、「それでは、議会に対する市民の皆さんの信頼が揺らぐ。私自身は相応の決意をもって対応する」と発言しました。なお、最終本会議(19日10時〜)で、職員給与削減条例など常任委員会付託案件に関する「討論」を行うことも、議運で通告しています。

●元議会事務局職員を見舞った後、市教委と協議
会議終了後、がんと闘病中の元議会事務局職員を見舞うため入院先へ。30年前の倫理条例制定運動なども知っている人で、最終本会議に上程される「議会基本条例」の前文に「政治倫理条例」の文言が記されるいることなどをめぐって話が弾みました。
もう少し話していたかったのですが、市教委学校教育部との約束があったため市役所に戻って協議。「がんに関する教育」の指導資料がほぼ完成し、小学校と中学校の4月からの授業で、これを活用した教育を行うとの報告を受けました。

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3月14日 (木)  雨は上がったものの、気温は急降下して午後でも7℃。コートを再着用…

金岡北中学校の卒業式に参列させてもらいました。同級生の指揮で、式歌「旅立ちの日に」を一所懸命に歌う卒業生たちに思わず拍手。「はたから見たら僕の人生は遠回りだった。回り道したからこそ今の自分がある」…山中伸弥教授の言葉を引用して、「ビジョンを描いてひたむきに努力してください」と結んだ校長先生の式辞を心に刻んだことでしょう。

午後から登庁して、相談に来られた方と担当課へ。また、電話でのご相談が相次ぎ、夜も事務所で来訪者の相談をお受けしました。

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3月13日 (水)  気温はまた上がって22℃。そして、予報どおり午後から雨になりました。

予算委員会総括質疑の2日目。先日の文教分科会で質した体罰事件について、誤りや不十分だった答弁の補足・訂正を求めました。そして、市教委の提供資料に基づて私が作成した表をスクリーンに写して質問。
(※クリックしていただくと、表が大きくなります)
表の左端番号「1〜4」が23年度に発生。「5〜7」=22年度、「8〜10」=21年度、「11〜20」=20年度、「21〜29」=19年度です。記載内容は、例えば「10」の場合、4月17日に発生した体罰を校長が知ったのが4月21日で、市教委への報告は6月24日(発生日から2か月後)でした。また、保護者から校長への通報によって発生事実が表に出ました。「即刻報告」というルールを守れないのは「校長の認識不足」だと市教委はいうのですが、ルールができてから28年です。

●「復興予算86億円で新清掃工場」などとの報道に関して
今朝、テレビ朝日のワイドショーをご覧になった方から、相次いで事務所に電話がありました。「復興予算を食い物にするのは、市民として恥ずかしい」。新清掃工場建設などの補助を受けるにあたって、環境省が復旧・復興予算枠での特別交付税を充てることにした問題です。災害廃棄物の受け入れを検討しただけで、処理の必要がくなったのに受け取るのは被災地を思いやらない行為だ…という気持ちが多くの人に広まっています。竹山市長が「財源確保は市長の責任。ありがたくいただく」と答弁したことも話題を大きくしました。市長は今日、あらためて「復興予算は被災地の復興に直接活用されるべきであるという住民の声も重たいものがある。被災地復興のために堺市として何ができるか早急に考えたい」と発言。私は、「例えば被災地支援基金を作るなど、具体策を示すべきだ」と提案しました。

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3月12日 (火)  今朝の気温も1℃。午後は15℃まで上がって、少し暖かさが戻りました。

予算委員会の総括質疑が始まりました。質疑は会派構成議員が多い会派から行うことなっていて、午前中に公明党の2議員、午後から維新の会2議員とソレイユ堺2議員が発言して5時半に終了。明日は、ソレイユの残り1議員、共産党、自民党(2議員)、田中議員の次に私…という予定ですから、私の発言はおそらく午後の遅い時間になるでしょう。

ところで、今日の発言者のなかで、水ノ上成彰議員(維新の会)の次のような発言が議論を呼びました。
「仁徳天皇が初めて大阪都をつくった。橋下徹代表を遡ること1600年前、大阪都はあった。大阪の発展の基礎は仁徳天皇が築いたと言って過言ではない。仁徳天皇は、灌漑工事や大土木工事、港の整備など、今でいうまちづくりに心血を注いだ。その仁徳天皇の世界最大の陵墓が堺にある。我々は1600年の時を超えて大阪都をつくろうとするとき、仁徳天皇の陵墓がある堺が参加することは歴史の必然だ」。
これに対して、その後に発言した池尻秀樹議員(ソレイユ堺)が、(水ノ上議員の発言は)「私の立場からは許せない。早く、橋下のマインドコントロールから抜けてほしい」と厳しく批判。

そもそも、宮内庁が定めている天皇陵は考古学的な想定と矛盾していることが多く、学者らは「大仙陵古墳」と呼んでいます。また、「仁徳天皇」も二人の天皇の事跡を一人に合成したものとの説もあるようです。「マインドコントロール」はともかく、もしかしたら維新の会議員の皆さんは、橋下さんを「天皇」的立場にしたいと思っているか…と、ふと思ってしまいました。

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