Diary 2013. 8
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8月21日 (水)  36℃という気温がこれほど続き、戸外で仕事される方は大変でしょう。

昨日の日記での観測どおり、西林市議は今朝、議員辞職願を提出しました。議会開会中は本会議での「辞職許可」が必要なため、23日本会議の冒頭で諮ることを議運で決めました。

●初めから逃げ腰? 竹山市長との論戦
それにしても、前回議運(16日)で「議員として職務を全うしたい」と答えながらの態度変更です。私は、「進退問題は当人の意向を尊重すべきではあるが…」と断った上で、「会派として、事情変更の理由を説明すべきではないか」と質問。ご当人の返答は、「政治的な活動が増えてきて、市議としての責任を果たせなくなった。議員や負託を受けた市民に迷惑をかけてしまう」でした。市長選にチャレンジするなら、今議会は、再選出馬を公言している市長に対する絶好の論戦機会です。また、そのことこそ、有権者が求める最大の政治的課題のはずです。

●市長になって何をしたいのか…ホームページには記載なし
いったい、どのような覚悟で立候補するのか。ご当人のホームページを覗いてみたところ、出馬表明後10日にもなるのに、市長選に関する記述はまったくありません。
念のため「堺のために」と題するページを開くと、地元道路の舗装、フェンスや側溝蓋の整備、通学路表示などの「実績?」を写真付きでPR。天に唾するような批判をするのは嫌ですが、地道で見事な“どぶ板議員”ぶりです。橋下氏との公開討論を竹山市長に申し入れた際、「私では荷が重い」と言い訳したことが市長の記者会見(7月31日)で明かにされています。堺市役所を背負うトップリーダー候補となるのは、もっともっと重荷なのではと、いささか同情の念も湧いてきました。
※西林克敏ホームページhttp://24884.info/ ※「堺のために」http://24884.info/?page_id=13
※堺市長記者会見(7月31日) http://www.city.sakai.lg.jp/shisei/koho/hodo/shichokishakaiken/kaiken_h25/h250731.html

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8月20日 (火)  今日もまた、朝28℃。そして正午に36℃。夜9時になっても30℃です。

お昼前に登庁して、23日本会議で発言する大綱質疑の準備を始めました。また午後は、測量業務に関する関係団体と市当局の話し合いに立ち会いました。8月8日に土木部や道路部と協議したことの続きで、今日は公園部、契約部などにも同席してもらって、6年前に指摘したことの現状などを確認。また、堺市として改善を検討すべき事項などの確認ができたので、大綱質疑の通告事項から削りました。話し合い終了後、長寿社会部、企画部と協議。議論すべき課題の整理に努めました。
ところで、昨日の日記に書いた維新の市長選出馬予定者の議員辞職は、今朝の読売新聞でも報道されています。話が決まれば、「辞職許可」に関する議事運営についての協議が必要です。明朝、議会運営委員会の開会前に「辞職願」が提出される見通しです。

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8月19日 (月)  大阪で13日連続の「猛暑日」。最高記録は2010年の「14日」だそうです。

本会議に続き、大綱質疑のための議会運営委員会。市長選のため、いつもより日程がタイトです。私の質疑は23日(金)の最終バッターで、午後5時半か6時になるでしょうか。通告したテーマは、@竹山市長…再選出馬の思い、A堺市政と大阪都構想、B測量業務の発注について。なお、市長選出馬を表明した西林議員から発言通告はありません。また、近く議員辞職して南区でも市議補選に持ち込むとの観測も流れています。「議員として職を全うする」(16日議運での発言)は、維新の会お得意の“目くらまし戦法”だったのかもしれません。


8月18日 (日)  今日も「猛暑日」。期待した暑さの和らぎは、まだまだ先のことでしょう。

風邪は治りつつありますが、週明けからの議会日程に備えて外出を控えました。那須塩原市議会の講演記録の校正を見直しています。


8月17日 (土)  地元町会の「夏まつり」。恒例の「子どもみこし」が事務所前を通りました。

一昨々夜、古いエアコンに身体の調整が付いていけず、夏風邪にかかってしまいました。気分が重いので、突然の来客のほかは予定をキャンセル。お陰で、今年1月に那須塩原市議会からお招きを受けて行った講演記録の校正に集中して当たることができました。

ところで、先日発送した「議員活動報告」について、あちこちから感想が届いています。
▼ご健闘ぶり、活動報告をいただきよくわかり、あらためて敬服致します。それにしても、四半世紀たっても堺市政のあいかわらずぶりに「なげかわしいったら ありゃしない」思いです。だから良識ある議員さんが「やめるわけにもいかん」とがんばられる理由があるのかもしれません。短所は長所かも?
かなり以前、堺市の記者クラブに在籍され、退職後郷里に帰って地域活動をされている元記者です。現役時代と変わらない苦みが効いた文面に、自戒の思いが湧いてきます。

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8月16日 (金)  今日は正午に35℃。朝は27℃。一雨あって冷やしてほしいところです。

19日から始まる8月定例会のための議会運営委員会が開かれました。予定議事を終えたところで、維新市議団の議運委員として出席している西林議員に「会期中に議員辞職の考えはあるのか」と質したところ、「議員として職務を全うしたい」という返答でした。言葉通りだと、市長選立候補による自然失職の道を選ぶことになります。態度変更がないとは限りませんが、どうやら「南区での市議補選は避ける」という戦法のようです。
議運終了後、消防局などと協議。某紙記者の取材を受けた後、午後は堺市立病院機構(独立行政法人)から、昨年度の業務実績と新病院整備事業の進捗状況などの報告を聞きました。

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8月15日 (木)  朝27℃。午後の最高気温34℃。幾分収まり気味…ならいいのですが。

68年目の終戦記念日です。1939年9月1日、ドイツ軍のポーランド侵攻で始まった第2次世界大戦。1941年12月8日、日本はマレー作戦と真珠湾攻撃によって、米英に宣戦布告しました。この戦争で命を落とした日本人は310万人。うち海外での死者は240万人。戦死した兵員は210万人と言われています。戦争末期の1943年には、兵力不足を補うために、高等教育機関に在籍する20歳以上の文科系学生が「学徒出陣」で徴兵・出征させられました。
そのひとり、龍谷大学文学部第一期生だった中川智幢さんの遺言状が「日本戦没学生の遺書」(1970年・読売新聞社刊)に収録されています。中川さんは、昭和18年(1943年)12月1日福岡西部四六部隊に入隊、20年(1945年)3月23日午前10時30分ルソン島北部セルパンテス南高地で戦死されたそうです。23歳、陸軍少尉。
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御両親様 
長い間色々と大変なお世話になりました。考えてみますと、生まれおちてから今日此の日迄、特にお膝下を離れて京都の学生々活(や軍隊生活)に於て御両親様の心からなる御配慮を給わり本当に私は世界一の幸福者でした。此の度は又晴れの赤子として第一線に御奉公させて頂きますが、之れ全く御両親様のお蔭だと深く深く感謝致しております。それに引返(ママ)え自己の孝養のたらなかった事が今更ながら悔いられて仕方がありません。
お父様お母様、何卒お許し下さいませ。
今将に壮途につかんとしていますが、私は微力ながらも全力を尽くして御奉公さして頂く覚悟です。幸いにも来世は約束づけられている私です。生死何ぞ論ずるに足らんの意気を以て皇土を狙う夷狄に当る決心、腕はなり胸は高鳴っています。御安心下さい。智幢は笑って散ってゆきます。遥か西の彼方に御両親様の御多幸を祈って居ります。但し屍を戦場に曝すばかりが武人の栄誉とはなりません。散るべき時にこそ潔く散り果てるでしょう。
家には後に信行、洋子が居ります。信行は又間もなく召されてゆく事と思います。決して決して人に負けぬ体力、気力の持主として下さい。洋子は或は西蓮寺の後継者とならぬとも限りません。洋子の順調な成長を切に切に念願致します。
他に何も思い残す事も御座いません。
お父様お母様、長い間本当に有難うございました。呉々も御体を御大事に頼みます。
では元気に征きます。
  我既に法の御親に抱かれけりすめらみ楯といざ散りゆかむ
御門徒の方々に呉々もよろしくお伝え下さい。
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遺言状の「西蓮寺」は妻の実家の菩提寺で、下は義父の七回忌法要(7月6日)の写真。智幢さんの戦死で、九大の医学生だった信行さんがお寺を継ぎ、現住職・正法さん(写真中央)はそのご長男です。
20年ほど前、義兄の50回忌にお参りしていただいた信行さんから、妻が「遺言状」のことを伺っていました。堺市立北図書館のレファレンスサービスで、上記図書に収められていることが判明。所蔵する大阪府立中央図書館から他館借受してもらいました。


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8月14日 (水)  朝方は26℃。久しぶりにエアコンを切りました。しかし、午後は37℃です。

昨日の日記を書く際、誤りを指摘しておいた市立堺病院から、「ホームページに“お詫びと訂正”を掲載した」との連絡がありました。新しく作り直した「1923年とはどんな年?」(下図)も載せています。
ここに書かれている「関東大震災」(9月1日)の後に、「亀戸事件」(9月3日)や「甘粕事件」(9月16日)が起こりました。亀戸事件では、東京府の亀戸警察署が労働争議で対立関係にあった社会主義者ら10人を逮捕し、その後日本軍によって刺殺。また、甘粕事件では、大杉栄や伊藤野枝らが憲兵隊の手で連行され、殺害されました。
なお、「虎ノ門事件」(12月27日)は、一連の労働争議弾圧に対する社会主義者の反発によって発生したものと言われています。「堺市立公民病院」(後に「市立堺市民病院」→「市立堺病院」と改称)の開院は、10年後のヒトラー政権誕生や日本の国際連盟脱退に至る軍国主義国家へ歩みが始まる時代だったようです。

●市長選(9月15日告示・29日投開票)への動き
ところで今日は、各方面への挨拶などを試みたのものの、相手先がすべてお盆休み。時間ができたので午後に登庁して、最近の情勢把握に努めました。
告示が1か月後に迫った市長選は、すでに再選出馬を表明している現職の竹山市長に「対抗馬を出す」と言っていた維新の会の候補者が西林敏克市議と決定。現職市議が市長選に挑むのですから、すでに議員辞職願が提出されたと思っていたのですが、まだのようです。公選法の規定では、9月4日までに欠員が生じたら市長選と併せて市議補欠選挙が実施されます。8月定例会が23日から始まるので、その議会日程に基づく常識的なタイムリミットは27日の本会議。議会内には、「市長選に負けた場合、自分が市議に戻るための議席を確保するため、補欠選挙を避けるのではないか」と観測する関係者もいました。
▼「都構想」を選挙争点にすることも回避するの?
大阪都構想に反対する竹山市長は、「堺はひとつ!堺を無くすな!」を旗印に選挙準備に入っています。ところが、読売新聞(2013.7.31)によると、橋下氏は「人口80万人の堺市を1区とすることも選択肢の一つ」と言い出したとか。しかし、大阪市会財政総務委員会(2013.1.28)での柳本顕委員への答弁では、次のように発言しています。
「堺市80万というのは大きすぎます。基礎自治体のバランスをとるためにも、堺市は40万程度に2つに分かれていただく。それは、周辺の市町村と含めて少なくとも2つぐらいに分かれてもらわなければ…最低でもですよ。それ以上でも、3つか4つなのか、それはまた議論してもらえばいいんですげど、今のままの大きさではやっぱりおかしいと思っています」
堺市議会でも、「堺市を含めて中核市程度の特別自治区に分割する」と発言した維新会派の議員が、5か月後には「分割するということは一言も我々は言っていない」と言い出すなど、極めていい加減であることを、私は昨年3月の議会で指摘しました。(下写真) 一体、維新が目指す「大阪都構想」とは何なのか。それを示さない“選挙戦”で堺市民の目をごまかすことは、絶対に許せません。

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8月13日 (火)  明け方に27℃。最高気温も36℃でしたから、少しは弱まったでしょうか?

ホームページの掲示板に、「ヒトラー政権誕生は1933年では?」との投稿がありました。堺病院90周年行事での医師の発表(下写真)を鵜呑みにして、8月10日のブログに書いた記事への鋭いご指摘です。調べてみると、列挙されていることはすべて1933年の出来事でした。どうやら、インターネット検索の入力誤りが原因のようですが、私自身の歴史認識も問われるお恥ずかしい話です。
今日は、大阪市の阿倍野墓地にある父方親族の墓に参りました。母が毎年墓参していたのを引き継いだもので、他にお参りされる人はいなくなっているようです。

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8月12日 (月)  深夜も30℃を下らず、午前6時に29℃。正午には37℃に上がりました。

兵庫県明石市のお寺に墓参り。神戸市西区に住む弟も同行するため、山陽道の三木インターを経由して向かいました。「吹田〜宝塚が大渋滞」との情報だったので、その区間は並行する一般道を利用して30分ほど短縮。帰りも、下り線の渋滞はまだ続いていました。
帰宅後、しばしば事務所にボランティアで来て下さっていたDさん宅へ。先日の市民派議員勉強会に出席していた豊中市議の花井慶太さんから、義理の伯父にあたるDさんが3月8日に逝去されたことを聞き、お悔やみに寄せていただきました。


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