Diary 2016. 5
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5月21日 (土)  五月晴れが続き、17.1℃〜25.5℃。九度山町は26.8℃だったようです。

堺市と米バークレー市との姉妹都市提携50周年イベントが金岡体育館で催されました。カリフォルニア大学バークレー校のマーチングバンド約120人に演奏は、さすがに大迫力。共演した府大や近大の吹奏楽部とともに、金岡北中の生徒たちもマーチングバンド全国大会で銀賞を得た折の忍者衣装で熱演していました。

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5月20日 (金)  今日もいいお天気でした。気温18.5℃〜254℃。とても快適な気候です。

午後3時から開かれた議運委員予定者会までに、大きな会派間での協議が整ったようで、委員長・副委員長共、現在の正副委員長が続投するという案が提示されました。30分休憩の後、再開された予定者会では、どこからも異論が出なかったので内定。23日本会議後の議運で、正式決定となります。

ところで、埼玉県深谷市から来堺され、西高野街道を経て高野山まで歩かれたIさんご夫妻は、今朝8時すぎ宿坊を発ち、午後5時前に帰宅されたとの連絡がありました。堺市や旧街道によい印象をお持ちいただけたら、何より嬉しいことです。


5月19日 (木)  五月晴れが続き、17.1℃〜25.5℃。九度山町は26.8℃だったようです。

10時から議会運営委員会。23日から始まる「5月議会」の日程などを確認しました。続いて、初日本会議で選任される新しい議会運営委員会委員の予定者会が開かれました。堺市議会では、2人以下の会派と無所属議員の中から議運委員を選任することになっており、現在、高木佳保里議員と黒瀬大議員も無所属となっているため、先般3人で話し合った結果、今年は私が引き続いて担当します。なお、今日の予定者会は正副委員長を選任するための協議ですが、明日3時に再開することにして休憩となりました。

会議が早く終わったので、埼玉のIさんに電話すると、膝の痛みがとれ、「京大坂道」を登っておられるとのこと。また、早起きして旧・三日市宿も歩いたそうです。そして、夕方6時すぎにいただいたお電話では、無事に宿坊に到着したと伺いました。
なお、その際の話によると、昨秋、私たちが道を間違えた分かれ道で、やはり「6q高野山」の方向に進んでしまったとか。遍路道は「極楽橋」に行くのですが、写真の標識に惑わされます。ただし、事前に注意喚起していたので、Iさんも早めに気づいて引き返されたようです。

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5月18日 (水)  今日は一日中の五月晴れ。最高高気温は25.4℃で、また「夏日」でした。

午前中の所用を済ませ、高野山に向かわれている埼玉のIさんに電話すると、学文路駅の少し手前で昼食中でした。昨夜の宿「紀伊見荘」からの道中で膝を痛めたため、「九度山駅まで電車で行く」とのこと。
車で後を追うと、慈尊院の山門でスケッチを始めたところでした。今日は1時間あまり描いておられましたが、その間に本堂と大師堂、さらに階段を上って丹生官省符神社にお参り。ここから始まる町石道にもほんの少し足を踏み入れ、「百七十八丁石」まで歩きました。
明日、高野山上をめざすIさんご夫妻は、今夜も堺東に宿をとっているので、車で送らせていただきました。帰り道で分かったのですが、道案内できなかった昨日、見てほしかった旧・三日市宿への分かれ道を誤られたようです。歩き遍路のための整備は堺市も含め、十分ではありません。


▼画像をクリックすると拡大します。

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5月17日 (火)  雨は明け方まで続いたようですが、朝から晴。気温は22.9℃とやや低め。

堺市の放課後児童対策事業をめぐって、障がいのある子どもさんを育てるお母さんからご相談がありました。担当職員の対応に疑問をお持ちの様子なので、双方で話し合う場を設定。今日午前中、2時間近く側で聞かせてもらいました。きとんとメモを残し、情報開示請求で得た資料を基に問題点を指摘するお母さんに対して、担当していた職員の不正確な記憶や言葉遣いはいただけません。
「これまでも、当事者に寄り添った対応ができていないのではないか」と指摘。何度も折衝された際のお母さんの立場を思うと、涙さえ湧いてきます。すべてのことを調査・検証の上、改めて報告することを求めました。

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5月16日 (月)  気になった雨の降り出しは午後6時すぎ。気温は20.2℃〜26.6℃でした。

昨日来堺された埼玉県のIさんご夫妻は、昨年秋に四国88か所遍路を結願され、そのまま徳島からフェリーで和歌山に着き、高野山へのお礼参りも済まされたそうです。ところが、私のブログで西高野街道のことを知り、「歩いてみたくなった」と来訪してくださったのです。ならば、お接待しないわけには行きません。昨日の堺市内案内に続き、今日は河内長野までの道程をご一緒させていただくことにしました。

●なんと、突然、竹山市長から歓待のことば
朝8時すぎに、宿泊先のダイワロイネットホテルから出発して、榎元町の十三里石へ。その道中に祀られている「榎宝篋印塔」を皆で見ていたら、後ろから突然大きな声が聞こえました。「おはようございます。市長です!」。「えっ!」と振り向くと、竹山市長でした。
市長は、自宅から徒歩で出勤中、朝から徒歩観光している熱心な一行が目にとまって、歓迎の言葉をかけようとしたようです。初めは私がいることには気づかず、顔を見て驚いた様子でした。ともあれ、観光客を見つけて積極的に声をかけ、出勤も徒歩という市長の姿にIさんも感動されたようで、戸惑いながら握手を求めていました。

●道中の地蔵尊や街道風景にも関心
ほどなく十三里石と竹の内街道の分岐点を過ぎ、榎歩道橋の上から大仙陵古墳を眺めてから、西高野街道を歩み続けました。中百舌鳥、関茶屋、中茶屋、福田などでは旧街道の雰囲気が漂う民家も見られます。江戸時代から残る里程石やいくつもの地蔵尊など、Iさんはこれらの風景を満喫しながら歩いて下さったようで、今日はスケッチではなく、記録写真の撮影に力を入れておられました。
正午、大阪狭山市と堺市が接する道路を抜けた所のパスタ屋で昼食休憩。中高野街道との合流点を経て、河内長野駅前(東高野街道との合流点)に到着したのは、午後3時半でした。昨秋に歩いたときと同じペースです。
降り始めがずっと気になっていた雨は、日が暮れてからになりました。未明には降り止むようで、明日は紀見峠方面に歩を進めるIさんご夫妻は、天候にも歓迎されているようです。

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5月15日 (日)  今日も五月晴れ。18.5℃〜26.0℃となり、戸外ではずっと半袖姿です。

午前中、堺市で2番目の小中一貫校、大泉学園の新校舎竣工記念式にお招きいただき、出席しました。

午後は、2013年秋の遍路旅で偶然ご一緒させていただいた埼玉県深谷市のIさんご夫妻が来堺されたので、まず新金岡駅から、百舌鳥八幡、大仙陵古墳、市役所展望ロビーなどにご案内しました。
その後、堺東駅前サイクルポートでレンタサイクルを借り、ザビエル公園(櫛屋町西)と山口家住宅(錦之町東)を見学。さらに、北村薫主堂(北半町西)、藤井刃物製作所(北旅籠町西)、清学院(同)など、七まち界隈をご一緒させていただきました。
伝統産業会館(材木町西)で一休みの後、スケッチをしたいというIさんのご希望に応えて旧堺燈台へ。約45分、スケッチ帳に向かわれるIさんの邪魔をしないように少し離れて、旧堺港の親水エリアで過ごしました。
自転車を使ったゆったりとした観光案内を試み、改めて堺市の「ええとこ」を実感できたような気がします。

※2013年の遍路旅 http://www.gulf.or.jp/~syun-ei/hp_013-henro/nikki_henro1314.html

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5月14日 (土)  17.1℃〜27.3℃。ますます暑さが増して、またまた「夏日」となりました。

最初の大きな地震から1か月。まだ避難生活中の方が1万人あり、テレビ映像で見る限り、被害を受けた建物もほとんどそのままのようです。改めて、お見舞い申し上げます。
他方、東京都知事の卑しい顔も連日報道されています。海外出張での大名旅行、政治資金を私物化し、週末には公用車で別荘へ。5年前、前立腺がん治療のため兵庫県相生市の病院に入院している私に、竹山市長から見舞いの打診があった折、「万一にも見舞い中に災害発生などがあって、市長不在では堺市民に申し訳ない」と辞退。市長も納得してくれました。


5月13日 (金)  今日も全日晴れて、気温は15.8℃〜24.6℃。まさに、爽やかな五月晴れ。

今朝の毎日新聞と朝日新聞によると、美原区の男性がまた住民監査請求。昨秋発行した「長谷川俊英議員活動報告」(bU8)を参考にされ、車のリース代支出について、その適切性を問う内容のようです。このことでは、議会の対応が遅れています。
今日は、午後から登庁して、市教委の学校教育部・教職員人事部、建築都市局の建築部などから報告を受けました。また、観光部に赴いて、資料収集。


5月12日 (木)  久しぶりにお天気が安定しました。終日晴れて24.4℃。熊本は27℃とか。

議会事務局からの連絡によると、昨日、堺市議48人全員で熊本市議会議長宛に、地震復興・復旧寄附金を送ったそうです。その額50万円は、市議が毎月1万円を納めている「議員互助会費」から拠出されました。
実は、10日の臨時会終了後に開かれた互助会役員会で、そのことは決まりました。事務局の説明によると、「寄付に充当できる会費残額が60万円ほどある」とのこと。そこで私は、「60万では切りが悪いから100万円を送ることにし、不足分は議員報酬20%減額を提案した維新議員と賛成した長谷川が負担したらどうか」と提案しました。会議出席者は揃って爆笑.。維新の議長が「個人が負担するのはどうか…」と発言した結果、寄付額は「50万円」でまとまってしまいました。

▼維新議員の説明責任
ところで、2月議会に「議員報酬%20減額」を提案した大阪維新の会に対して、他会派は「パホーマンスだ」と批判して反対しました。「そうではない」と維新が反論するなら、とりあえず自主的に「20%分」の受取拒否をすればいいのです。しかし、維新議員の誰一人実行しませんでした。実はその2月議会では、人事院勧告に従って職員(議員にも連動)の期末手当(ボーナス)を「0.1月分」引き上げる議案が提出され、維新はこれに反対しました。
同様の期末手当の引き上げ議案は、2014年11月議会にも提案されたことがあって、大阪維新の会は、そのときも反対しています。そして、引き上げられた「0.15月分」を、当時在職していた10人(池田克史、小林よしか、井関貴史、上村太一、米田敏文、的場慎一、三宅達也、黒田征樹、西田浩延、水ノ上成彰の各議員)が受取拒否しているのです。
ところが、今回はこの期末手当の増額分も反対しながら平気で受け取っています。2年前と対応が変わった理由について、少なくとも10議員は説明する責任があるのではないでしょうか。

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