Diary 2012. 11
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11月10日 (土)  歩き遍路第2日=奈半利町の宿〜27番神峯寺〜安芸市の宿

標高430mの山頂にある神峯寺への登りは、今回の道程でいちばん厳しい所。麓の地場産品直売店(神峯)で荷物を預かっていただき、身軽になってお参りすることができました。宿からの途中、田野町の道の駅で仕入れた昼食も、下山後にこの店の軒先テーブルを拝借。店主との会話では、「ハウス栽培のナスなどで儲けた農家が多く、近ごろ人の情が薄くなった」との嘆きも伺いました。
なお、お寺への参道では、「88歳だ」とおっしゃる男性とすれ違い。昨夜は同じ宿だったようですが、電車を利用して最寄り駅から歩かれたそうです。
昨夜、その宿までを歩き切っていたお陰で、今日は安芸市の宿まで歩き続けることがことができました。

【歩行距離23.4q 37,576歩】

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11月9日 (金)  歩き遍路第1日=大阪なんば〜室戸市〜26番金剛頂寺〜奈半利町の宿

初めて四国遍路を試みたのは、2005年2月のこと。何とか仕事のやりくりがついた12日間(11日〜22日)の計画を立て、1番寺の霊山寺(徳島県鳴門市)から26番金剛頂寺(高知県室戸市)まで、260.5qを歩き通すことができました。「区切り打ち」という手法での遍路旅ですが、7年9か月を経て、やっと2回目に挑戦。今回は、9日間歩いて37番岩本寺までの旅です。

●なんば→室戸市はバスで
朝7時30分、なんばから室戸市までは直行のバス便を利用。バスが徳島県の南部に入ると、1回目に歩いた道と重なる部分(国道55号)が多くなり、室戸市に近づくにつれ歩き遍路の姿を見かけるようになりました。
到着した「海の駅とろむ」からタクシーで金剛頂寺へ。本堂と太子堂にお参りして、これからの道中の安全を願いました。前回の区切り寺から次にめざすのは27番神峯寺ですが、歩き始めたのは13時45分です。今日中の到着は無理で、途中の奈半利町に宿をとることにしていました。また、初日は足慣らしのつもりで、14qほど歩いて路線バスを使う計画でした。

●まさに「南国高知」…遍路用白衣の下は半袖Tシャツ
金剛頂寺から遍路道を30分ほど歩けば国道に出るのですが、いきなりの急な下りは膝にこたえます。いたわりながらゆっくりと歩を進め、国道に出ると道路沿いに植えられたハイビスカスが満開。また、気温も20℃くらいに上がったため、長袖のスポーツシャツを脱ぎました。出会った老婦人と、しばらく歩きながらの会話。「私らは車でお参りやっちゅうが、歩いてちやか?」…。

●魅せられた吉良町の町並み保存
吉良町の遍路道は、国道と並行する旧街道。土佐漆喰と水切り亙の伝統的な土蔵や民家が人々の住まいとして残り、その風景は心を和ませてくれます。

●車のヘッドライトを頼りに、国道を歩く
羽根川の手前の海岸で太平洋に沈む夕日を鑑賞。暗くなったので中山峠を越える山道をあきらめ、遠回りとなる国道を進みました。歩道は続いていたのですが、街路灯のないところでは車のヘッドライトが頼りです。なお、予定のバス停に着いても足は元気で、宿までを歩ききることができました。

【歩行距離18.5q 28,331歩】

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11月8日 (木)  今日の気温は16℃〜18℃。大泉緑地でケヤキの色が変わり始めました。

久しぶりに朝の大泉緑地を歩いた後、午前中は事務所で市民相談などの仕事をこなしました。午後から登庁して、市教委の学校指導担当者と協議。先日入手した「がんカルタ」や、これを活用するための「ファシリテーターガイド」など関係資料を提供しました。

下は、44枚の取り札の一例です。先週末の研究成果発表会では実際に「カルタ取り」を体験しましたが、楽しみながら「がん」の勉強ができる教材だと思います。府立成人病センターがん予防情報室の井岡亜希子先生と津熊秀明先生が監修。制作には、大阪樟蔭女子大学の鈴木朋子准教授が当たられました。札の絵は、同大学学生の作品だそうです。
なお今日は、市役所にも市民相談に来られた方がありました。また、新病院建設に関する質問なども寄せられたので、病院機構に確認の上で回答。

▼再々恐縮ですが、明日からの日記の更新がしばらく遅れます。

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11月7日 (水)  早くも立冬です。晴れていましたが、太陽があっても気温は15℃〜17℃。

勝手な休暇をいただいている間に、メールや電話でのご相談が事務所に届いています。午前中に登庁して処理にあたりました。また、午後は、開発調整部や建築部と協議。先週末に調査を依頼していたシンドラー社製のエレベーターに関する資料などの提供を受けました。金沢市での事故を報じる記事を読んで、国土交通省が行っている「エレベーターの安全確保に係る補助事業」のことが気になっていました。地方公共団体もこの事業の対象になっているようですが、市当局は、今回の調査で初めてそれを知ったとのこと。いささか驚きです。引き続き、安全確保施策の徹底を求めました。

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11月6日 (火)  お天気はすっきりしませんが、雨にあうこともなく、まずまずの日です。

宿をゆっくり出発し、福岡県糸島市の産直市場(福ふくの里)などに立ち寄ってから大野城市にある妻の実家で休憩。アクシデントを警戒して少し早めに発ち、夕方のフェリーで帰宅の途につきました。勝手ながら、日曜日からの3連休をとらせていただきました。


11月5日 (月)  朝方まで残った雨が止み、気温も上昇。しかし、北部に戻ると寒い風が…

朝、地元のボランティアガイドの案内で、1時間ほど宿の周辺を散策。指宿や薩摩藩の歴史にまつわる様々なエピソードに触れることができました。山川港や開聞岳山麓を巡ってから、指宿スカイライン、九州道、長崎道、西九州道を経て、今夜の宿(佐世保市世知原町)まで、およそ6時間のドライブです。


11月4日 (日)  好天気だった九州北部から南部に近づくに従い、雨が強くなりました。

昨夜のフェリーで九州へ。半年ぶりに妻の母を労う温泉旅行を企てました。ところが、フェリー乗り場に向かう阪神高速が工事のために大渋滞です。危うく乗り遅れそうになりましたが、何とか間に合って乗船。そして、到着した新門司から福岡への高速道路を走り始めたら、今度は左後輪がパンク。スペアタイヤのない車種のため、やむなくJAFの世話になって小倉南インターへ。タイヤ交換の手配を試みたのですが、近辺4社には適合するタイヤの在庫がありません。やっと5社目で修理完了したときには3時間を経過。アクシデント続きの旅が気になりましたが、夕刻には指宿温泉の宿に到着しました。


11月3日 (土)  快晴で気持ちのいい日。しかし、気温16℃の午後は寒さを感じました。

午前中は、「北区域交流まつり」に参加。絶好の天気に恵まれ、何よりでした。
午後は、大阪科学技術センターで開催された大阪府と日本対がん協会共催の研究成果発表会に参加しました。発表会のテーマは「意外と知らない??そして伝えよう『身近ながんとがんから身を守る方法』」。府立成人病センターの津熊秀明先生と井岡亜希子先生、また、大阪樟蔭女子大学准教授・鈴木朋子先生の講演を聞きました。そして、津熊・井岡両先生らが考案し、鈴木先生や樟蔭女子大の学生らが制作した「がんカルタ」と、これを使った《がん教育》も体験。とても興味深いものでした。

なお、昨日の日記に書いたシンドラー社製エレベーターの事故に関係して、その後、建築都市局から全議員宛の報告がありました。その報告によると、堺市関係施設のものは事故を起こした同型の機種ではないとのこと。また、同社に対して緊急点検を要請したとのことです。

ところで、去る10月18日、政務調査費をめぐる住民訴訟で大阪地裁は、議員に対して192万円を返還させるよう竹山市長に命じる判決を下しました。この判決について、被告の堺市は控訴しないことを決定。ところが、補助参加人となっていた当該議員が控訴しました。なお、堺市は控訴しない理由を「本判決を精査した結果、一審で主張した以上の新しい証拠を市として持っていないことなどを総合的に勘案し、控訴しないこととした」と説明しています。

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11月2日 (金)  朝の気温8℃、昼間も15℃。コート着用で通勤される姿を見かけました。

「シンドラーエレベーター」製のエレベーターが、金沢市でまた死亡事故を起こしました。昨日、北区役所のエレベーターを利用される市民の方から、心配の電話がありました。6年前の事故の折にも調べたのですが、現場を確認の上で区長らと協議。
そのまま登庁して、建築都市局長や建築監理課長らとも協議しました。堺市では北区役所のほか、南区役所、中区役所、さらに大小路歩道橋と泉ヶ丘駅北側に、シンドラー社のもの(計15機)を設置しています。また、今年7〜8月に行った調査では、市関係施設のエレベーター数250機のうち、「戸開走行保護装置」を備えたものは35機。つまり、86%のエレベーターに安全策が講じられていないのです。
国土交通省は、3年前に建築基準法施行令を改正し、以後の新設エレベーターには補助ブレーキなどの取り付けを義務化。また、既設エレベーターについても保護装置を備えるように指導しており、堺市としても早急に対することを求めました。

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11月1日 (木)  午後、小雨がぱらつく不安定な天気。強い風も吹いて季節が変わりました。

朝、木々が色づき始めた大泉緑地を散歩。時間があったので、登庁も歩いてみました。途中、南長尾町の府営団地で旧棟が取り壊される現場を見ながら、市役所まで50分。帰りは、市立堺病院から60分でした。災害時の非常事態でも徒歩で動けそうです。

なお、市役所では、開発調整部と協議。美原区の斜面崩壊現場で復旧工事の工法などが住民に示されたとの報告を受けました。

●福島原発事故の恐怖…菅直人さんがテレビで語る
ところで今朝、テレビ朝日の「モーニングバード」が、菅直人前首相が福島第1原発の事故に直面した折の様子を、当人へのインタビューで報道していました。「冷却装置が動かないということはメルトダウンに至る。背筋がぞっとした」。「どんどん拡大したら、どこまでの人が逃げなければならなくなるのか。チェルノブイリどころではなくなり、東京も含めて逃げないといけない状態になるのではないか。一つの国が成り立たなくなる」。「何千万人もの人が避難することになると、命を落とす人も出るにきまっている。恐怖に襲われた」。「最悪になったら、どうして逃がすのか。170キロ圏は強制、250キロ圏は希望する人を逃がすとしたら数週間はかかるだろう」。「しかし、それを実行する法体系はない。緊急的な形で、交通手段、受け入れ体制のイメージを考えたが、考えきれない」…。

●「菅下ろし」は、浜岡原発停止要請から始まる
また、この番組「そもそも総研」を担当した玉川徹記者は、原発事故への対応を巡る「菅下ろし」に「違和感を覚えた」とも語っていました。そして、その契機となった「事故原発への海水注入を菅首相が中止させた」という新聞報道は事実ではなく、「官邸に詰めていた東電の武黒フェローが指示し、現場の石田所長がそれを無視した」というのが真相だと主張。この点について菅さんは、「そのような情報は、東電内部からの報道関係への働きかけだったのではないか。浜岡原発の停止要請を行ったころから、東電もしくは原子力ムラによる菅下ろしの空気が強くなった」と話していました。

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