Diary 2014. 5
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5月11日 (日)  第7日=民宿岡田〜66番雲辺寺〜67番大興寺〜観音寺市の宿

民宿岡田を発つのも、私が最後でした。行き届いたお世話で遍路客をもてなしたお二人は、登山口に向かう私の姿が見えなくなるまでずっと見送ってくださっていました。雲辺山(標高910m)の頂にある雲辺寺は88か寺中、最も高地にある札所です。そこを極めるための宿として最適の場所にあるだけでなく、ご主人の人柄や経営ポリシーに感服。「いつまでもお元気でいてほしい」とお願いしました。
岡田の主人が「菅さんは2時間半で登った」と言っていた険しい道を、私は2時間50分かけて歩き、66番雲辺寺に至りました。お参りを終えて山門を出たところで、昨日三角寺でお接待してくださったご夫婦と再会してご挨拶。先方も驚いておられました。

●ありがたかったお接待の「おにぎり」
下りも急坂が続く遍路道を進み、途中の休憩所でいただいた昼食は民宿お接待のおにぎり。雲辺寺から3時間半かかった大興寺までの道中で食べ物を買える所はなく、宿泊者全員への心配りが感じられます。
67番大興寺から今夜の宿(JR観音寺駅に近いホテル)までは、7.1q。岡田で丁寧な道案内の地図をもらっていたのに、途中のスーパーでトイレを借りて出た後、何を勘違いしたのかまったく違う方向に歩いてしまいました。およそ1q歩いて気づき、元の地点まで引き返したこともあって、大興寺から宿まで3時間かかりました。

【本日の歩行距離=23.0q】

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5月10日 (土)  第6日=伊予三島駅近くの宿〜65番三角寺〜旧池田町の民宿岡田

伊予路最後の札所・三角寺への道は、予期したよりもきつい登りでした。遍路道から山門に至る石段を息を切らして上がりきると、車遍路のご夫婦が待ち受けておられ、ねぎらいのお接待。用意されていた小さな紙袋に、心のこもったお菓子が入っていました。お参りを済ませて、今日の宿・民宿岡田に向かいます。

●心温まる「民宿岡田」
明日の雲辺寺は徳島県三好市池田町にあって、登り口に一番近い宿は、池田町佐野の「民宿岡田」です。「境目トンネル」内の県境を越えて宿に着くと、にこやかに迎えてくださった女性が私の杖を洗い、案内した客室の隅にそっと置かれました。このところほとんど体験しなくなった遍路宿の基本的な「おもてなし」が、ここには残っています。
宿の主は、広島での被爆体験を持つ元国鉄マンで86歳。迎えてくださったのはご子息の妻さんでした。夕食時には、宿主から明日の道案内。手作りの地図と、要所要所の写真を示しての楽しい話を聞きました。ご主人の話は遍路をめぐるエピソードにも及び、今年4月10日の朝日新聞が報じた外国人排除の張り紙は「悲しいこいとだ」と嘆息。「こんなことでは遍路道の世界遺産も無理だ」と話されました。
なお、この宿にも菅直人さんの写真があり、その日30数キロを歩いて来た菅さんを「歩きすぎ」と戒めたそうです。また、食事で同席の青年はオーストラリア人のアンジェロさん。23歳の学生で、日本語を学び、ホテルでアルバイトをしているとのこと。全7室ほどの小さい宿では、みんな家族のようです。

【歩行距離=18.8q】

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5月9日 (金)  第5日=新居浜市の宿〜旧土居町〜伊予寒川〜伊予三島駅近くの宿

ほぼ一日、ロマンさんと一緒に歩きました。ホテルを出てしばらく、彼の水筒に水が切れていることに気づき、新居浜市船木の民家でいただくことにしました。すると、玄関に招き入れてくださって、ジュースとスタミナドリンクのお接待。その上、チョコレート1袋に1000円札を添えて「お二人に」とのこと。遠慮しているロマンさんに受け取ってもらいました。
また、旧土居町の集落では、家の中から「お遍路さん!」との呼び声。ちょうど訪問販売が来ていたお餅を、1パックずつお接待してくださいました。お陰で、このお餅は2人のランチに…。
また、同じ町内の関川小学校前にさしかかった折、すれ違ったパトカーの窓が開いて、にこやかなお巡りさんが「どちらから来られました?」と質問。「ドイツの方です」と答え、「写真を撮ってもいいですか」と尋ねたら、校庭内にパトカーを停めて気軽に応じてくれました。
ロマンさんは遍路ではなく、登山など四国の自然を楽しむために4週間のバカンスで来日。今夜は、ユースホステルもある新長谷寺にテントを張るとのこと。伊予寒川駅に近いローソンで買い物をするというので同行。ところが当該店舗は廃業しており、さらに半時間ほど歩いて新店舗を見つけ、そこで別れました。ホテルを出てから5時間半、怪しげな英語でのコミュニケーションで足取りは軽快でした。私が予約している伊予三島駅に近い宿には、それから1時間半。

【本日の歩行距離=24.2q】

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5月8日 (木)  第4日=小松駅近くの宿〜63吉祥寺〜64前神寺〜新居浜市の宿

小松の宿から、63番吉祥寺、64番前神寺を打って新居浜市の宿まで、今日も様々な出会いがありました。昨日、横峯寺への登りで追い抜いて行った青年は、山形県のKさん。休暇がとれる間だけ歩き、64番で区切って帰るとのこと。往復の航空賃だけで5万円かかるそうです。
Kさんと別れてからは一人旅。道中、新社会党の元気な看板に注目、空豆の摘果をする農婦とも話しました。また、新居浜市の遍路道に面した休憩所兼善根宿では、菅直人さんの写真が目にとまり、備え付けのノートをめくると、「美味しいお茶をありがとう。2011年10月6日 菅直人」の文字。私も、用意されていたお茶で一息つかせてもらいました。
●新居浜市のホテルではドイツ人の青年と
今夜の宿、新居浜市のビジネスホテルには午後2時20分着。玄関が閉じ「4時オープン」との表示なので、玄関先で待っていると、大きな荷物の外国人が到着しました。ロマン・モクダンズ(Roman Mogdanz)さんというドイツ人で、28歳。「結婚してるの?」と問いかけたら、「ガールフレンドがいる」とのこと。「美しい人?」と重ねて聞くと、スマホを取り出して写真を見せてくれました。彼はドイツでカレッジ教師、彼女はイギリスに滞在して小学校で教えているそうです。ホテルのドアが3時に開いたので、チェックイン。「ベリーハングリー」だという彼を誘って、近くの「まいどおおきに食堂」へ。とりあえずメニューの素材を説明してあげると、ロマンさんは「豚とキャベツの味噌炒め」「サラダ」「豆ご飯」を選びました。

【本日の歩行距離=21.4q】

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5月7日 (水)  第3日=宿〜60横峯寺〜61香園寺〜62宝寿寺〜小松駅近くの宿

実は昨日、宿に向かうには国道11号線を右折しなければいけないのに、遍路地図の目印にしていたコンビニが無くなっていて、直進してしまいました。引き返して宿に着いたとき、ほぼ同時に到着したお遍路さんが2人いました。栃木県の男性Mさんと三重県の女性Kさんで、いずれも予約していた丹原町の旅館の女将が体調不良のため、この宿を紹介されたとのこと。ご両人とも、私よりも1日早く結願する予定だそうです。
朝の準備が長い私は、2人よりも遅れて出発。柿の摘果作業をされる農家の方と話したりしながら、ゆっくりと上り坂を歩みました。何人もの歩き遍路に追い越されながら、登山口に到着。その後の険しい山道はさらに速度が落ちました。
4時間かけて山門に至った60番横峯寺では、シャクナゲが満開。多くの参詣者がいましたが、MさんとKさんはお参りを済ませて出発するところでした。休憩所で昼食中にご夫婦と知り合い、下りも急峻な道はこの方々を追いかけながら歩きました。
2時間半で61番香園寺に着き、62番宝寿寺へはそこから10分。今日予定していた3か寺のお参りを済ませたので、JR小松駅に近い宿へ。本業がお肉屋さんだというこの宿の夕食には「肉がたっぷり出る」と、歩き遍路たちの評判になっています。初日は「豚しゃぶ」、連泊すると2日目は「牛すき」だと聞いていましたが、まさにそのとおりでした。

【本日の歩行距離=19.4q】

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5月6日 (火)  第2日=伊予桜井駅前〜旧丹原町へんろ道の野口邸〜西条市小松の宿

朝、宿まで迎えに来てくださった野口さんの車で伊予桜井駅へ。2日目はここからのスタートです。丹原町にたどり着くのはちょうどお昼。野口さんのご自宅は、かつて丹原町の中心商店街だった遍路道に面しています。「ぜひ昼食のお接待を」と待ち構えてくださり、奥様の手料理をいただくことになりました。かつて一緒に訪ねた梅山窯の砥部焼食器が並び、高級魚と言われるアコウやホゴ(カサゴ)などの魚は親戚の方(子息の妻のご実家)が瀬戸内海で釣り上げたものだそうです。
今日は参拝寺はなく、明日挑む難所「横峯寺」がある石鎚山(標高1982m)を遠くに望みながら、ひたすら歩きました。登山道にいちばん近い宿に着いて野口さんに電話すると、「10分ほどでそちらに行く」とのこと。昨日立ち寄った実報寺に加え、西山興隆寺や生木地蔵など、近くの別格霊場にご案内いただきました。

ところで、野口さんが運営する「あけぼの作業所」には、18歳〜65歳の22人が通所しています。高齢化による耕作放置地を借り受けて様々な作物を栽培。今日はタマネギ畑を見学しました。もう収穫の時期を迎えており、収穫作業を終えれば農協や産直市を通じて消費者に届くとのこと。なお、東日本大震災の際には、被災地の作業所の被害が甚大だと聞いて救援募金活動を展開。障がい者による救援活動として話題になったそうです。1年がかりで集めた募金でトラック1台を贈ることになり、代表者と野口さんが仙台市での贈呈式に参加したと伺いました。

【歩行距離=18.8q】

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5月5日 (月)  第1日=55番南光坊〜56番〜57番〜58番〜59番〜伊予桜井駅前

雨の中、第5回目の区切り遍路に旅立ちました。前回区切った55番札所南光坊(愛媛県今治市から始め、88番札所大窪寺(香川県さぬき市)までを13日間歩き通して結願を目指します。
今、この地域では祭りの季節らしく、あちこちでその光景を見ました。また、お寺の境内や公園では、フジの花が満開です。
初日は足慣らしのつもりで今治市内の4か寺を打ち、JR伊予桜井駅から今治駅に戻って駅前のホテルに泊まるつもりでした。ところが、明日通過する西条市丹原町にお住まいの知人(野口征次郎さん)に電話すると、「宿は自分が手配する」とのこと。56番泰山寺、57番栄福寺にお参りしたところで雨は降り止み、58番仙遊寺に至る山道は雨具を脱いで登りました。59番国分寺を出て、間もなく桜井駅という辺りで、車の窓から野口さんの声が…。
古い手帳の記録によると、野口さんと初めて会ったのは1993年5月19日。その夜開かれた、旧丹原町での政治腐敗に取り組む住民の皆さんの会合に招かれた折です。以来21年、私的な旅でお訪ねするたびにお世話になって来ました。今日も、歩き終える予定の伊予桜井駅で出迎えの上、例大祭で賑わう綱敷天満宮などを案内。近くの浜辺では、阿部悦子さん(前回遍路で出会った愛媛県議)が取り組んでいた織田が浜埋め立て反対運動のことなどを話してくださいました。
93年当時教職にあった野口さんは、県立今治特別支援学校を退職後、障がい者の支援活動に取り組んでおられます。現在は「あけぼの作業所」の施設長で、その施設も見学。その後、ご用意いただいた本谷温泉(伊予三名湯の一つとのこと)で夕食を共にし、宿のお接待に甘えました。

【本日の歩行距離=16.6q】

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5月4日 (日)  今日も快晴。岩国市の錦帯橋付近は、大勢の観光客で賑わっていました。

妻の義兄が病のために亡くなったのは、12年前。祖先が岩国藩士だった関係で、藩主の墓所でもある岩国市の洞泉寺にお墓があります。同寺で今日、義兄の13回忌法要が営まれたので、朝の新幹線で岩国市に赴きました。
錦帯橋近くのホテルでの御斉(おとき)が終わってから、広島バスセンターまでバス。そして高速バス(しまなみライナー)に乗り継いで今治市へ。明日から始める5回目の区切り遍路に備え、前回打ち終えた55番寺に近いホテルに宿をとりました。

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5月3日 (土)  大型連休の後半が始まりました。好天で23℃。半袖姿の人が増えています。

危機が一段と増している「憲法」記念日。TBSの「報道特集」を見ていたら、第一次安倍内閣で法制局長官を務めた宮崎礼壹さんが登場。鋭いコメントに惹かれて調べてみると、宮崎さんは、安倍首相から集団的自衛権の行使を違憲とする法制局の憲法解釈を変更するように指示を受け、職員総辞職の可能性を示唆して抵抗した人だそうです。
さて今日は、和歌山県田辺市と堺市との友好都市協定の調印式が行われ、出席しました。以前にも書きましたが、1985年5月17日に旧・本宮町の泉幸徳町議らが私を訪ねて来られ、交流が始まりました。その後、泉正徳町長(幸徳議員の子息)の折に友好都市提携の協定が締結されましたが、田辺市との合併で解消。改めて、田辺市との協定調印に至ったのです。両市長による調印儀式後に、堺市に本拠地を置く大阪交響楽団が「アイネ・クライネ・ナハトムジーク」を演奏。続く奥熊野太鼓の演奏と共に、両市の交流の深まりへの期待と楽しさを感じさせる演出でした。

■明日からしばらくの間、ブログの更新を休みます。

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5月2日 (金)  快晴で24℃。夏日に近づいてきました。体の準備ができていないのに…

午後から登庁して、調査依頼していたことについて人権部から報告を受けました。また、昨日の大和川線工事にからむ市民の方からの通報について、新任の建設局長が説明に来たので、これまで懸案となっている諸々の事案に対する取り組み姿勢も確認。前職の時代から口八丁手八丁の人でだけに、解決への道筋がつくことを期待したいものです。
さて、先の福島県でのスタディツアーの際、「いわき初期被爆を追及するママの会」(ママベク)が行っている署名運動のことを聞きました。いまのなお放射性物質が大量に放出される中、学校給食に地元産の米を使おうとする行政の意向に危機感をいだいている方々の運動です。
先日の市政報告会の際、「全国からの署名を集めたい」とのご意向を参加者の皆さんに伝えたところ、たくさんの方々が署名用紙を持ち帰ってくれました。そして、もうすでに署名欄が埋まった署名を届けてくださり、用紙追加のご請求もあります。

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