Diary 2014. 4
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4月30日 (水)  昨日からの雨は朝方に降り止みました。午後は晴れ間も見え、22℃に…

駅前議会報告を行う日は、通常4時半頃に目覚めます。延期したのに今朝も同時刻に目が覚めて起きてみると、窓の外にかなりの雨音が聞こえました。結局、出発時の6時には降り止んでいたのですが、ボランティアの皆さんを悩まさずに済みました。
ところで、23日の日記に書いた「日本桜草」のことで、一部の記載に誤りがあることが、「日本桜草守の独り言」で指摘されています。
「堺の修身」と並べて写真を掲載した「菅丞相」は、花を見せていただいた廣田さんが作出されたものではなく、「浪華さくらそう会の会長」の作だそうです。また、命名の謂われについても、「二つの意味がある」とのこと。詳しくは当該ブログをご参照ください。「命名」に関するエピソードも披露されています。
http://blog.livedoor.jp/naniwasakurasoukai/archives/2014-04-23.html

▼いま我が家で咲いているシラン(紫蘭)も妻の実家からの株分けです。

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4月29日 (火)  朝からずっと雨。午後いちど小やみになったものの、また激しくなりました。

午前中、元議会事務局職員の家族の葬儀にお参りさせていただき、午後から市政報告会。雨のなか、たくさんの方々が来てくださいました。今日はじめて参加された方も二人あって、お一人はご近所の方。もうお一人は堺区在住の青年です。

●原発事故めぐる議論も
2月議会の報告は討論で使ったパワーポイントで説明。福島で撮ってきた被災地の写真も紹介しました。参加者の中には、原発のメンテナンスに関わる仕事をされた方もあって、興味深いご意見を伺いました。また、以前関電にお勤めだった方は、福島原発の事故後、「放射能はコントロールできない」と認識し、脱原発に考えが変わったとおっしゃっていました。
ところで、明朝に予定していた中百舌鳥駅北側での議会報告は、1日(木)に延期することにしました。

▼2年ほど前、妻の実家の庭から持ち帰った低木に花が…。「ガマズミ」でしょうか。だったら、花言葉は「結合」。

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4月28日 (月)  朝、出かけるときから15℃でした。お昼頃から雨になり、最高気温は20℃。

JR堺市駅で駅前議会報告。天候次第で延期しなければ…と思っていたのですが、予定通り実施することができました。今日で13か所を終え、残りは30日(水)に予定している中百舌鳥駅の北側広場(スピーチは地下鉄G出入口付近)だけになりました。

●新たな避難者支援事業など
午後から登庁して危機管理室を訪ねると、避難者支援に関する新しい情報を得ることができました。その一つは、「東日本大震災市内避難者支援事業研修会」の開催日が5月31日(土)と決まったこと。場所は市役所3階の大会議室。市内避難者に対して心身にわたるケアを実施している事業所や個人を対象にして、定員100人。事前申し込みが必要です。
二つ目は、今年度新たに就任した危機管理監と建設局長が、5月12日〜14日、市職員を派遣している被災地(宮古市、大槌町、石巻市)を訪問。これに同行する危機管理室の避難者支援担当副理事らが福島県にも立ち寄ってニーズ把握を行うとのこと。昨年9月議会の健康福祉委員会で竹山市長が私の質問に答えて公言した「すべての避難者のかゆところに手の届くような支援」を目指して、今後の施策展開が期待されます。
危機管理室のほか、子ども青少年育成部などと協議。夜は、事務所で市政・法律相談です。


4月27日 (日)  やはり、いわき市より堺の気温は高いようです。23℃で快晴の外出日より。

午前中に近所の方のご葬儀。また、ほぼ一日かけて、遅れていた一昨日と昨日の日記をまとめました。強烈な被災現地の印象で埋めましたが、25日午後の研修内容も豊富でした。
まず、いわき市の除染対策課長が除染の進捗状況などに関して報告。続いて、同市の原子力対策課長が「いわき市地域防災計画(原子力災害対策編)」の概要について説明。また、福島県からも担当職員らが出席。放射線健康管理センターの食品測定、県民健康調査課の甲状腺検査や内部被曝検査、生活環境部避難者支援課の避難者支援、県教委が担う文科省の保養補助事業への対応状況などについて説明を受けました。

●困難に取り組む市民グループの活動
盛りだくさんのメニューでしたが、とりわけ強い印象を受けたのは、被災現地で市民活動に取り組む人たちの話です。まず、「NPO法人いわき放射能市民測定室たらちね」の方が、同団体が行っている検診を通じて、県の検診の問題点などが浮き彫りになっている状況を説明。また、「いわきの初期被爆を追及するママの会(ママベク)」の鈴木さおりさんは、学校給食の食材に配慮を求める署名運動について語り、保護者の危機感を奪うような空気を憂えていました。
なお、新潟市議の中山均さんが、自治体の避難者支援策に関するアンケート調査の中間整理を報告。堺市の支援施策が注目されたので、私が補足しました。
ところで、26日の現地視察バスに同乗した「いわき自由労働組合」の役員は、除染などに携わる労働者がいかに劣悪な労働環境に置かれ、被爆の危険にさらされているかを説明。雇用主による特殊勤務手当のごまかし、暴力団が支配する企業による監禁や脅迫などの実情などを具体的に知ることができました。

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4月26日 (土)  福島県の最高気温は、いわき18℃、福島25℃、会津若松24℃の予報。

スタディツアーの2日目。いわき市の会場から貸し切りバスで北へ向かい、隣接する広野町、楢葉町、富岡町の被災現場を見に行きました。

●除染地域に目立つ仮置き場
いわき市北部から広野町、楢葉町にかけては除染が進んでいて、各地に除染廃棄物の仮置き場が目立ちました。右の写真は、楢葉町の天神山城址からの展望で、仮置き場の向こうに東京電力の広野火力発電所の煙突が見えます。除染は常磐線の線路でも行われており、砕石が取り替えられているものの、広野駅以北はまだ不通。また、楢葉町では「避難指示解除準備区域」となった地域があり、作業などのために自宅に戻っている住民の姿が見えました。やがて宿泊も認められるようになるようですが、「子どもたちが戻ることはないだろう」と聞きました。

●被災時のままの残酷な姿をさらす富岡駅
富岡町に入ると状況の深刻さは一層増します。海に近い富岡駅は津波で破壊された駅舎や架線柱が被災時のままで、流されてきた自動車が線路内や駅近くに放置されていました。もちろん、損壊甚だしい駅前の店舗や住居も手つかずです。住民は誰も居ません。富岡町の多くは「居住制限区域」で、同乗メンバーが車内に持ち込んだ線量計はバスが同町に入ったとたんに高い数値を示しました。いちばん高かった夜ノ森地区のモニタリングポストの放射線量は「5.474μSv/h」。また、ある地点から先は「帰宅困難区域」に指定されており、一般車の進入を認めない“関所”が道路上に設けられています。

●広大な地域から人々の暮らしを奪った原発
今回私たちが見たのは、原発被災地のごく一部。それでも広大な土地に、事故以前はたくさんの人々の暮らしがありました。バスで移動しながら駆け足での現場視察でしたが、いったい誰がこれほどむごい事態を招いたのか、深く重い思いがこみ上げてきます。

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4月25日 (金)  福島県内陸部は22℃というのに、いわき市は18℃。冬は雪がないとか。

目覚めて最初の驚きは、NHKのデータ放送で「各地の放射線量」が報じられていたこと。原発事故の被災地に来たことを実感しました。
8時すぎ、貸切タクシーで津波の爪跡が残る海浜部へ。海岸に近い住宅の土台部分だけが残る風景は衝撃的です。薄磯海岸にある豊間中学校の横で、通りかかった高齢男性にインタビュー。海岸に近い集落に260戸ほどの住宅があったが、数戸の新しい家を除いてほぼ全滅。高さ6メートルの津波に呑まれた死者は約120人、行方不明者は10人ほどだったと聞きました。少し高い所に建っているご当人の家など4軒は浸水を免れたものの、いつでも逃げられるよう裏山にはしごを立てかけていたそうです。
3.11当日、豊間中学校は卒業式で、3年生は帰宅。残っていた1〜2年生は校舎屋上に避難し、生徒の犠牲者はなかったとのこと。しかし、校舎1階の窓はすべて壊れ、海岸に近いプールの外側の金網フェンスもなぎ倒されています。なお、被災以来、中学校の授業は海岸から離れた所にある豊間小学校に間借りして行われているとのことでした。
この薄磯海岸は、映画「喜びも悲しみも幾歳月」のモデルとなった塩屋崎灯台の北側にあって、海岸からは灯台を間近に望めます。また、灯台への登り口の下には美空ひばりの歌碑(みだれ髪)が建ち、観光客が訪れていました。歌碑は高台にあるのですが、売店の女性たちに聞くと、津波はその場所まで到達したそうです。
灯台の南側には豊間の集落があり、ここも津波による相当のダメージを受けた様子が残っていました。震災後3年、がれきは撤去されているものの、復興とはほど遠い光景です。

●市役所・図書館を経て、研修会場へ
被災地から帰りにいわき市役所に立ち寄り、議会事務局総務議事課長の山崎俊克さんと面談。同市の被災や復興状況に関する資料の提供を受けました。その後、駅前の商業施設「ラトブ」の4階・5階にある「いわき総合図書館」で、震災関係の資料を閲覧。副館長の三瓶真二さんから、同館建設の経緯なども聞きました。
午後は、いわき市湯本地区の「ゆったり館」へ。福島原発震災情報連絡センターのスタディツアーに参加して、市や県の関係者の説明のほか、市民グループの取り組みにも学びました。

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4月24日 (木)  堺では24℃に上がった最高気温も、訪問先の福島県いわき市では16℃。

朝、JR浅香駅前で議会報告をさせていただきました。出発時からすでに太陽が昇りはじめており、だんだん日差しが強くなって暑ささえ感じる季節となりました。事務所に戻ってスタッフとの打ち合わせの後、新大阪駅へ。
明日から始まる、福島原発震災情報連絡センターの「被災地スタディツアー」に参加するため、福島県いわき市に向かいました。東京・上野駅から特急「スーパーひたち」で2時間余り。10年前(2004年)の1月と8月に視察で訪れているのですが、駅や駅前はすっかり姿を変えており、驚きました。

ところで、同行した妻の姉が茨城県牛久市に住んでいます。上野駅で常磐線に乗り継ぐ際にメールを送ったら、「牛久駅近くの畑に居る」とのこと。車窓から目をこらしていると懸命に手を振ってくれいるのが見え、構えていたカメラもかろうじて白い帽子をかぶったその姿をとらえました。(写真右)

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4月23日 (水)  朝は8℃で少し寒かったものの、午後には21℃。好天で暑くなりました。

地下鉄・北花田駅BC出入口で議会報告。スピーチは東側歩道でさせていただき、今日もたくさんの方々の激励をいただきました。午後から登庁して、市教委などと打ち合わせ。

●昨日の日記の追記
ところで昨日、午前中は本会議でしたが、午後から次世代育成支援調査特別委員会の市長・教育長との意見交換会がありました。比較的早く終了したので、「見頃になりました…」とお誘いを受けていた日本桜草を拝見するため、堺区の廣田友重さん宅を訪問。
花壇に飾られた見事な作品を鑑賞し、様々な新しい品種が生み出すのが楽しみという、桜草栽培のことも教えていただきました。
ちなみに、下写真の右の鉢は「堺の修身」と名付けられており、竹山修身市長が昨年鑑賞に訪れたのにちなんで、新品種の銘としたそうです。また左の鉢は「菅丞相」で、菅直人さんが首相に就任した際に名付けたとか。白い花に政治家の名を冠する理由はとくに尋ねませんでした。しかし、政治に対する廣田さんの期待が込められているような気がします。
なお、写真ではそれぞれの違いが分かりにくのですが、花弁の形や重なり具合が異なっています。ともあれ、「堺の修身」が「菅丞相」よりも大きな姿に成長しているのが、私にはちょっと気になりました。
なお、廣田邸の広い庭の半分は桜草の苗で覆われ、まるで花の絨毯のよう。近くの幼稚園児たちも喜んで見にくるそうです。

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4月22日 (火)  今日の気温は13℃〜18℃。また一日曇り空で、やや肌寒さを感じました。

午前9時30分議会運営委員会。続いて10時から本会議が開かれました。大阪維新の会が提案した職員の政治活動を地公法を超えて規制する条例について、市長が再議に付し、4月9日の総務財政委員会では「継続審査」としたことに関して、議会の意思決定をする会議です。

●維新の会の主張のでたらめさを指摘
再議議決には3分の2以上の賛成が必要なため、採決を行えば維新の条例案は否決されます。これを回避するために維新は継続審査の動議を提出しました。そして、市長が再議理由とした「立法事実がない」ことを実証的、客観的に証明せよと要求。また、そのために、職員全員に聞き取りかアンケート調査すべきだと主張しました。
しかし、同様のアンケート調査を橋下徹市長が実施したことに弁護士会等の批判が巻き起こり、大阪府労働委員会も不当労働行為と認定して命令書を発しました。その結果、アンケート回答は破棄されています。このことを意識したことは明白ですが、維新の会は今日の討論で「調査は強制せず、匿名でよい」と付け加えました。
だけど、橋下市長は匿名や任意調査では正確で有効な情報が得られないと考え、「回答は職務命令だ」と職員を脅したのです。維新の調査請求は、そのことを忘れた実にいい加減な主張だと、私は厳しく批判しました。

●「立法事実」についての維新の会の見解
また、総務財政委員会で維新の会は、市長の再議が出されるまでは自分たちに立法事実の存在を証明する責任があったと認めました。そして「だから1年間、議員の指摘も受けた」と発言。調べてみると、昨年6月に提案された際、自民党議員の質問に答えています。その際に「立法事実」として挙げたのは、広報さかいの大阪都構想に関する記事の掲載に職員がかかわったことです。しかし、地方公務員32条は、職員が「上司の職務上の命令に忠実に従わなければならない」と定めています。職員の行動はこの規定を守ったものですから、そんなことが政治的活動を行った「立法事実」と言えるわけがありません。だから、提案者として「立法事実」を示したことは皆無なのです。

●討論の最後に恩師・末川博先生の言葉を紹介
仮に継続審査にしたとしても、維新条例が可決されることはなく、議員の任期満了(来年4月)により廃案となります。維新の会は、「市長は再議権を濫用した」とも主張します。しかし、これは地方自治法に基づく二元代表制の原理に他なりません。なお、「権利の濫用」の原理を確立させたのは、私の恩師である末川博博士です。そこで私は、討論の最後に「法の理念は正義であり、法の目的は平和である。だが法の実践は社会悪とたたかう闘争である」というの末川先生の言葉を紹介しました。そして、維新の会のやろうとしていることは、まさしく「社会悪」ではないか。そのような「皆さんと闘うことを宣言する」と述べて、討論を締めくくりました。
もっとも、継続審査とするかどうかの採決は過半数で決まりますから、維新の会のほか、公明党と自民党が賛成して議決されました。

▼右端の写真は、末川先生のご自宅を訪問した折のもの(1974年)

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4月21日 (月)  一日中、不安定な天気が続きました。気温は13℃〜19℃でしたが…

地下鉄・新金岡駅C出入口で議会報告を始めるときは、予報通り午前中の雨がないものと信じていました。ところが、6時40分頃から雨粒が落ち始め、その後は時折、傘が必要でした。それでも、「30年前に引っ越して来て以来、ずっと応援しています」などのお声に励まされて、予定時間まで続けました。その後、登庁して、市教委や人事部などと打ち合わせ。


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