《2016.6.5
(1705)

※6月4日以前の日記は、前ページに掲載

昨日、西高野街道を再検証。堺区榎元町の十三里石には、「安政四年丁巳三月」の文字が刻まれており、1857年に建立されたと推定されます。中区関茶屋の十二里石、南区岩室の十一里石も同様で、159年前の石碑です。
また、草尾にあるお地蔵さんの背面には「享保17年」の文字がありました。里程石よりも古くて、1732年。それから284年間も野外に祀られた石仏としては状態がしっかりしています。「もしかしたら再建立?」、また「享保の大飢饉(同年)と関係あるか」など、中央図書館に電話してレファレンスを要請しました。
●堺市建設局の認識違い
西区福田の分かれ道に立つ石の道標は、旅人を迷わせます。右の道が西高野街道なのに、石碑には「左」の文字。よく見ると、「左」と別面の「右天野山」の彫り込みを埋めた形跡があります。
一昨日の協議の際に指摘したら、建設局の職員は「多分、地元地域で建立されたもの」と逃げていました。しかし、昨日確認すると、道標には「平成十年三月再建・堺市」とも刻まれています。
●天野街道を自転車で…
その道標から5q先に天野街道との分かれ道があって、天保十二年(1841年)の石標が立っています。堺市役所前から約23q。12時30分に発ち、調査しながら着いたのは2時15分でした。
左の西高野街道は300m先で「おわり坂」への下り口。そこまで行って戻り、天野街道を進むことにしました。この道は南区岩室や畑との境界で、陶器山にかかる所から自動車通行は禁止。大阪狭山市が道標などを整備しており、分かれ道から天野山金剛寺まで18q。山道の上り下りが多く、1時間を要しました。
帰りは、農道や住宅街を経て十里石(大阪狭山市)近くから西高野街道を堺へ。天野山から1時間45分で帰宅。堺市役所からの総走行距離は70q余りで、電動アシストが効果を発揮しました。

月5(日)雨は昼前まで続きました。午後は曇り空から晴れへ。最高気温は22.9℃。

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