●石崎善隆議員が倫理調査会に提出した釈明文
                                           2006年9月29日
堺市政治倫理調査会 会長 様 
                                      堺市議会議員 石ア善隆

            平成17年資産等報告書の疑義について(釈明)

 この度は、私の平成17年資産等報告書について、過日(9月13日、14日新聞報道)の新聞報道について、ご迷惑をお掛けすることになり、貴審査会におかれましては大変申し訳なく思っております。
 平成17年12月に4950万円で購入しました中古の共同住宅の原資についてですが、率直に釈明させていただきますと、私の父が、私の現金との考えで、父名義の貸金庫に保管していたものです。当該共同住宅の購入の経緯について、その背景事情を含め、書面にて説明をさせていただきますので、ご高覧いただきますようよろしくお願い申し上げます。
 私は、二人姉弟(私が長男)でしたので、今で言うと、温室育ちだったのかと思います。大学に進学する時も、一浪しましたが、大学に入学した19歳の時に、母が脳梗塞になり、後遺障害が残りました。後遺障害は軽度なものではなく、障害者手帳の1級でした。左半身が麻痺し、寝たきりというわけではありませんでしたが、歩くには杖や歩装具が必要で、一人で歩くと後ろに倒れそうになる状況でした。母は家事ができなくなり、父は仕事ありましたし、祖母と姉と交代で家事をしたり、私が家事をしたり、母の通院や散歩に付き添うようになりました。母は、週に2回ぐらいの通院が必要な状態でした。2度目の脳梗塞後に、「像」が一つに結ばれない、物が二重に見えてしまうという視神経上の障碍を得るようになったという状況でした。
 大学を卒業した後も、結局、企業には就職せずに、父の仕事の少し手伝いながら、母の通院の付添や家事していました。家族の誰かがやらないといけないことでしたし、その頃は、祖母や姉もいましたが、私の家の事情では、私が就職をすることは、なかなか難しかったと思います。今でこそ、介護保険制度というものがありますが、そのころは、介護保険制度というものはありませんでした。 
 しかし、家族がそれぞれ協力しましたし、特に苦痛には感じませんでした。家事も、掃除洗濯、食事の用意など、分担してやっていました。ただ、父は、私に申し訳なく思っていたようで、小遣いの他に、月10万円ほど私のために貯蓄してくれていました。
1年ほどは、会社に勤めたこともありました。その間も、時には休みを取って、母の通院に付き添いや、家事もしていました。給料は、父に渡しましたが、父は私の給料をそのまま貯めといてくれました。その意味では、世間一般の家庭とは、異なり、やはり特殊なものがあったのかと思います。
 私立大学の大学病院で心臓に人工弁をつける手術をしましたが、その手術が原因かどうかはわかりませんが、その手術を受けてしばらくして、脳に血栓ができて、脳梗塞となりました、以前より症状が悪化しました。父は、あそこの病院はあかん、国立病院でないといって、その後は、母を入院させる際は京都大学付属病院に入院させるようになりました。母が入院した時の付添などは、私が、主にやっていました。何しろ、ほとんどひとりでは何もできませんでしたから、はじめのころは、私の知り合いが京都のあるホテルの重役をしていて、1ヶ月ほど連泊していましたが、毎日外食で、付き添いをしている私の方が体調を崩しそうになり、幸い大学時代からの友人が、京都に住んでいて部屋が一室空いていて、そこに間借りさせてもらうような形で、1ヶ月ほど、京都にいました。
 その後、他の病気が悪化して、京大病院や他の病院には、記憶はもう定かではないのですが、3回ほど、3ヶ月ほど入院しましたので、一年に3ヶ月は、大阪を離れて、京都の友人の自宅に間借りさせてもらいながら、母の介護をしていたように思います。
 母の回復を願って、名医がいると聞けば、高知県の方に、カルテやレントゲンをもってみてもらったり、青森県や岐阜県に行ったり、ほうぼう出かけていました。
                                            (次ページにつづく)